イギリスの歴史

イギリス人は前に述べたように、人が死ぬとその人の持っている土地(当時の財産は土地が主なものでした)を教会に寄付する習慣がありました。ところがこうして教会に寄付される土地が増えると、領主としては困るので、十二世紀の後半にヘンリー三世は「没収法」という法律を出してこれを禁止しました。なぜなら、当時はまだ封建制度で、領主が土地や農民を支配し、農民などから地代を納めさせていたのです。このため、土地が個人の手を離れて教会のものとなると、これに対して地代や税金をかけることができません。また、土地の持ち主が死んで相続人がない湯合には、その土地を領主が取り上げることになっていました。しかし教会に寄付されれば、個人と違って永久に続いていき、これには手がつけられないとあって、教会の持つ土地が増えるのは領主として都合が悪かったのです。

ところが、このような禁止の法律が出ても、人々はなんとかして法律をくぐってその目的を遂げようとしました。そうして昔からイギリスに伝わっていた信託の考え方とか、ローマ帝国以来のヨーロッパ大陸における信託のやり方を取り入れていったのです。それはユースと呼ばれるやり方で、これは人々が教会に土地を寄付しようとする場合に、直接その土地を教会に寄進しないで、まずその土地を他の者に譲り渡しまナ。譲渡を受けた人は、教会のためにその土地を管理しまナ。そして教会は、そこからあがる収益を受け取ることによって、直接寄進を受けたと同じ利益を得ることができたのです。ユースとは、もともと「……のために」とか「……に代わって」という意味ですが、このように教会のために財産を移すとき、お互いの間に信頼がなければならないので、時にトラスト(寸話ことも呼ばれましたが、これが現在の信託(trust)の語源です。

こうした制度は、単に教会に土地を寄付する場合だけでなく、一般の人が土地を没収されたり、相続によって税金をかけられたりするのを避けるためにも利用されました。というのは、当時は土地は相続人である長子以外には相続することができず、相続人以外の子供や家族に土地を遺贈(人が死んでから財産を贈ること)することもできませんでした。そのうえ、相続人のない土地は領主が没収し、相続人が未成年ならば領主が監督ナることになっており、また土地などを相続するときは多額の税金をとられることになっていました。そこで土地の持ち主は、このユースの制度を利用して自分の土地を最初から数人の人に譲り渡しておき、そして自分が生きている間は、そこからあがる利益を自分で受け取り、自分が死んだら、その後は生前に指定しておいたものに土地を引き継がせ、その利益が相続人の手に入るようにしておくようにしたのです。

こうして、生前に土地の譲受人に指図さえしておけば、相続人でない二男や三男にもこのユースの方法で土地の収益を分けてやることができたのです。そのうえ、土地の持ち主が死んでも土地の相続という問題が起こらず、したがって税金がかけられたり、没収される心配もないわけです。このため、このやり方はだんだん広まって、十四世紀ごろになると、このユースの制度が教会への寄進以外にも盛んに利用されるようになりました。