円高とコストダウンのイタチゴッコ

一九八五年に始まった円高が結局空洞化を生じなかったのもこの日本型経営システムが原因になっている。日本社会では企業が存続しなければ意味がない。また、日本製品の品質の高さは労働者間の協調体制、労使協調によって生まれていたのであり、下請企業からの品質の高い部品供給が不可欠であった。親企業も円高だからといって単独では海外へ移動できなかったのである。しかも、「ガソバロウ」で合理化による生産性引上げが可能であった。バブル期には直接投資が盛んに行われたが、これがただちに日本経済を空洞化に導くことはなかった。

しかし、労使協調による企業存続のための努力は、それ自身のうちに明らかな矛盾を持つ。日本企業がコストの引下げに頑張れば、輸出は減らないことになる。企業としては、需要を維持し雇用を維持することになる。ところが、日本経済全体では円高にもかかわらず輸出が維持されることになる。実際、表のように円高と輸出はあまり関係がありそうにない。数量ペースでも減らない。輸出が減らなければ経常収支黒字は減少しないのでまた円高になる。円高になれば再び「ガソバロウ」となる。合理化が行われると、輸出を抑えることができない。このようにして、円高とコストダウンのイタチゴッコが続くことになる。

一般に、社内レートは現実のものより厳しくして、経営計画に余裕をもたせるように設定する。ところが社内レートを上げると、それを基準に合理化を行い、競争力がついて輸出が伸びて経常収支黒字となり、その社内レートが実現してしまう。そうすれば、また社内レートを上げなければならない。

アメリカの企業であれば、為替レートが高くなって輸出ができなくなれば、そのような儲からない商売は止めるだけである。余った従業員は解雇すれば何の問題も生じない。企業には利益のない仕事を続けなければならない理由はない。利潤最適化の原理通りに企業が行動するかどうかは別にしても、企業が利潤を無視して生産を続げることは許されない。しかし、従業員を解雇できない日本企業は、ともかく頑張らなければならない。日本型経営システムでは、企業が利潤を上げるかどうかは最重要課題ではない。