テレビは「元服」して何になるか

パソコンに計算以外のほかの仕事をさせなければならない。何がよいか。それは明らかである。パソコンの中に映像を取り込んで、パソコン画面でテレビや映画を見られるようにする。パソコンの中に電話を取り込んで、テレビ電話として使えるようにする。テレビと電話の機能をパソコンに吸収して高度に融合させる。夢をこめてこれをマルチメディアと呼んだのである。パソコンはハイペースで性能を向上させ、そのうちに力を持て余して、マルチメディアへと突き進まざるを得ない。もはやパソコンはパソコンの時代を終える。パソコンは「元服」してマルチメディアになる。

実際、その変化は始まっている。八〇年代からすでに、米国のアッデルコンピューターのパソコン「マック」平日本の富士通のパソコン「FMタウンズ」は「マルチメディアの入り口の商品」と呼ばれるようになった。CD−ROM装置を付加して、さまざまな映像が画面に表示される。音声も、音楽も、パソコンから出てくる。パソコンで映画が見られ、音楽が聞ける。先進的なア″プル社の製品だけでなく、標準的なパソコンでも、九二、三年ごろからこうした機能を備えるようになった。米マイクロソフト社の「ウィンドウズ」の登場で可能になったのである。

九四年の後半からは、NECや松下電器産業、日本アイービー・エム、アイワなどが、一般のテレビ放送も画面に映し出して見られるパソコンを一斉に発売した。画面の中で自由に枠を設定して、テレビを映すことができる。パソコンは確かにテレビの機能を取り込み、ステレオの機能を取り込みつつある。毎年性能が六〇%も向上している。最初は映像の画質が悪くても、音楽がいまいちノリが悪くても、パソコンの性能向上に伴って、映像が目に見えて良くなり、音楽に迫力が出てくる。着実にパソコンはマルチメディアに育って行く。

パソコンが元服してテレビを取り込み、マルチメディアに発展して行くとしたら、テレビはどうなるのか。結論から言うと、テレビも「元服」してマルチメディアになる。ただし、これは米国の話である。注目すべき統計がある。米国の統計である。九四年のパソコンの販売台数がざっと一千八百五十万台に達した。これに対してテレビそのものは二千万台程度である。九五年か、遅くとも九六年ころには、パソコンの販売台数がテレビの販売台数を上回ることは確実だろう。もちろん、パソコンでテレビを見る機能がどんどん拡充して行く。特別に大型の画面で迫力ある映像を見たいという時でなければ、マルチメディア化したパソコンでビデオやテレビ放送を見れば十分である。三、四年後の米国では子供たちはパソコンのことを指してテレビと呼ぶかもしれない。パソコンは「次世代テレビ」である。

いずれはさらにマルチメディア技術が進展し、テレビ機能は現在よりも数段、優れたものになる。そのカギを握るのが「MPEGH(エムペグツーと発音する)」と呼ばれる技術である。キーになる技術なので、多少、説明を加えよう。テレビやビデオなどの映像情報を一とOのデジタル情報に分解した上で、高速で遠隔地に送信できるように、必要最小限の情報だけを送り、後は省略する技術である。データを大幅に減らすので「圧縮」とも呼んでいる。

圧縮して送る側と受ける側で同じ規則を使わなければならないので、その標準となる規格作りが行われている。これが完成すれば、テレビはパソコンと同じ規格のデジタル方式で運用されるようになる。これまでのアナログテレビからデジタルテレビに移行する。わかりやすく言えば、テレビはパソコンの一つの構成部品になってしまう、ということだ。パソコンと呼ぶのが気に入らなければ、マルチメディアの構成部品と言えばよい。

パソコン(マルチメディアでも結構)で見るテレビはこれまでのテレビより高機能である。すでにコンピューターの一部だからいろいろできる。記憶装置に記録して後でじっくり見ることもできる。VTRもパソコンに吸収されるわけだ。映像の一部を拡大して詳細に見ることも、登場人物の顔を別の顔に取り替えることもできるかもしれない。ビデオカメラで撮影した像を取り込んで子供の成長記録を編集したり、映像入り出張報告書を作成したり、と多彩である。テレビはコンピューターであれこれ映像情報を操作できるマルチメディアに「成人」して行く。