長生きした享楽派、消費派にはカッコ悪さがある。

そうしたものが、現に刻苦精励してきた人たちにくらべて遜色ない暮らしができているにもかかわらず、まだ不平不満を隠さないとすれば、そのような条件を整えて扶養し介護している側か、どこまでっづくヌカルミぞ、と釈然としない気分になっても、それは人情としてやむをえないのではないか。

ただ、彼ら昔の新人類の立場でいえば、まさか、こんなに長生きするとは思ってもみなかった、というのが本音だろう。太く短く、カッコよく生きるつもりだったのに、結果的に長生きしてしまった、というわけだ。現実にはキリギリスは冬がくる前に死んでしまうが、イソップ童話のキリギリスは冬になっても生きていて、アリに憐れみを乞わなければならない。長生きした享楽派、消費派にはこうしたカッコ悪さがある。

とはいえ、どんな生き方をしてきたにしても、超高齢者に向かって自己責任原理を振りかざして、自分で責任をとれ、自分で落とし前をつけろ、というわけにもいくまい。釈然としない気分は気分として、困った親を持つ子である多くの高齢者は、経済的にも肉体的にも共倒れの危険性をはらみながら、扶養と介護の負担に黙って耐えているのである。

父母ともにいますは人生至上の幸せ、という。さはさりながら、二人の超高齢の親を扶養し介護するのは、あらゆる面で容易ならぬ負担である。