ASEAN諸国の成長加速

このような好条件に恵まれて、ASEAN諸国の経済成長串は急速な上昇をみせた。一九八九年以降ついにNIESのそれを上まわって、長らくつづいた両グループの成長率格差は消滅した。ASEAN諸国の急成長は、彼らが東アジアに渦まくみずからに有利な貿易・投資環境に迅速に反応することによって実現されたものである。

ひとつには、日本につづいてNIESの通貨が切上げを余儀なくされる一方、ASEAN諸国通貨に対する調整圧力は少なく、それゆえ前二者に対して後者の輸出財の比較優位が顕在化したことである。ふたつには、そうした比較優位の明瞭な変化に対応して、まずは円高によって日本企業が、ついで通貨切上げと賃金上昇に押しだされてNIES企業がASEAN諸国への投資集中を試み、これがASEAN諸国の供給力を強化した。

ASEAN諸国側はこのような貿易・投資環境を「千載一遇」として察知し、これを自分の胎内に「内部化」するための諸政策に打ってでた。マレーシアのエコノミストは、円高を契機にASEAN諸国に集中する日本の直接投資を「歴史的日本機会」と表現した。そのひそみにならっていえば、ASEAN諸国は同時に「歴史的NIES機会」にもめぐまれ、その両機会を掌中におさめるための政策対応を試みたのである。外国企業の輸出産業への投資の最低限度額を引き下げたり、輸出企業の法人税免税期間を延長したり、輸出部門を外資に開放するといった、外資系企業に対するかつての多様な規制を緩和するための諸政策が、一九八六年以降つぎつぎと展開されていった。

輸出拡大と外資導入の双方においてめざましい成果をあげたASEAN諸国の典型は、タイであった。タイは、かねてより外国資本に門戸を幅広く開いており、これに加えて工業化を支える社会間接資本部門も整備され、質の高い労働力を擁し、かつその政治的安定性も高いなど、他のASEAN諸国に比べても好条件を擁しており、そうした事情がこの国に外資が婿集した要因となった。

しかし、短期間におけるあまりに急速な投資集中の結果、タイの中間管理者や技術者が涸渇し、港湾・道路などのインフラ部門のボトルネックが顕在化し、労働市場の逼迫化にともなう賃金上昇などが発生した。そのためにタイの受容能力を上まわる外資は、ところを転じてインドネシア、フィリピンへと「オーバーフロー」しながら、ASEAN全域へと広がっていった。