中国に進出した先進外資工場

中国の温家宝首相来日を前に取材の準備に追われていたころ、大学時代の友人から何年かぶりに電話が入った。彼は大手商社に就職しながら、それに安住することなく「鶏口となるとも牛後となるなかれ」を実践し、ある中小化成晶メーカーの営業担当取締役をしている。電話は、彼の会社が単独投資で上海郊外に設立した工場のトラブルに関するものであった。彼が働いている工場は二〇〇二年に上海市郊外の工業区に進出し。中国人従業員百人余りを抱えて操業している。業績も上げ、中国に進出した先進外資工場の模範にも選ばれた。業種や技術力で外資企業の選別を始めた中国政府にも高く評価され、社長が外資担当の閣僚にも会見しい直接賞賛されたほどであった。

操業開始以来、年月を経て中国人技術者も育ち、彼らの待遇は日本人駐在員に準ずるまでに引き上げられた。日中両国社員の「和諧(中国語で調和を意味する)」は成り、会社の前途は順風満帆に見えた。しかしその時、落とし穴が大きな口を開けて待ち受けていたのである。会社は中国人従業員の挙式など身辺の祝い事には日本人社員がこぞって参加し、融和を図ることにしていた。中堅技術者の王(仮名)さんの結婚披露宴にも日本人社員五人が招かれ、二百人近くの参加者と杯を交わしていた。披露宴の途中、社員の鈴木(仮名)さんは洗面所に行くため中座した。すると、通路で遊んでいる五歳ぐらいの子供にぶつかりそうになり、あわてて身をよけた。「危ないよ」と声をかけたが子供は気に留める様子もなく、屈託がなかった。

ところが突然、「今、お前はウチの孫をまたいだろう」と老女が言いがかりを付けてきた。一八〇センチを越える彼が身をよけた姿は、横から見れば、ひ。つとしたら子供をまたいだように見えたのかもしれない。人の股をくぐることは中国では、漢代の武将韓信が若い頃、喧嘩を仕掛けた若者の股をくぐって無用の殺生を避けた「韓信の股くぐり」の逸話でもわかる通り、最大の屈辱と見なされている。「とんでもない。よけただけだ」。不自由な中国語で言い終わるか終わらないうち、男が彼に襲いかかってきた。後から知ったが、この男は子供の父親で、結婚式を挙げた新郎の叔父に当たる人物であった。鈴木さんはあわててトイレに逃げ込んだが、なおも男は彼を追い、便器の上で二十発以上も殴った。

騒ぎを聞きつけた社員や親類が集まり、興奮する男を鈴木から引きはがし、何とかその場は収まったが、鈴木の顔や手足にはひどいアザが残った。披露宴が台無しになったのは気の毒というはかないが、ここまでなら些細な誤解に基づく、小さなトラブルで済んだかもしれない。しかし、事はこれでは収まらなかった。翌日から、子供の親は仲間の十人ほどと連れだって工場に押しかけ、「賠償」を要求し始めた。要求額は百万元(約一千六百万円)。「日本人が中国の子供をばかにしたことへの慰謝料」が名目である。日本人と見るや追い回し殴りかかり、工場の正門にピケを張って資材の出入りを妨害する。中国人従業員も怖がって矢面に立ってはくれない。「包丁を持ってきて日本人をやる」「反日デモを覚えているだろう。今から領事館に行こうか」「マスコミを連れてきても、いいんだぞ」。彼らの脅し文句の一部だ。

もちろん地元の鎮(中国農村部の最末端行政機構)の公安局に助けを求めたが、「民間の紛争には介入しない」と取り合ってくれない。操業の妨害に来る男たちの数は減り、やがて子供の親と称する夫婦だけになったが、日本人と見るや襲いかかる暴力沙汰は相変わらずである。補償の要求額は三十万元(約四百八十万円)に下がり、地元の公安局も「これ以上、暴力を振るうなら取り締まる」と警告はしてくれたが、門前に押しかける操業妨害はやまない。聞けば男は地元では知られた「黒社会(やくざ)」のメンバーで、逮捕歴もあるという。やがて、鎮の司法部門から「調停案」なるものが示された。内容は、あろうことか日本人が「無意識のうちに中国の子供を侮辱し、傷害を与えたこと」を認めて謝罪し、「補償」として五万元(約八十万円)を支払うという内容だった。