「謎の微笑」が意味するもの

すなわち幼児期のレオナルドの抑えられた母親への愛情が、同性愛へと発展し、この禁じられた愛情をさらに抑圧して、レオナルドは純粋に芸術的な表現形式にまで高めたのである。したがって、「聖ヨハネ」の微笑には同性愛者の誘惑の微笑があり、それは多くの人びとにとってタブーであったので、一見して見る者に不快な拒否したい感情を起こさせる。

他方、「聖アンナ」に描かれたアンナや聖母fの微笑は、同じくレオナルドを育てた母、生んだ母への回想のなかによみがえった微笑であるから、それは多くの人びとに受け入れられ、安らぎを感じさせるのである。そして、「モナーリザ」の肖像に表わされた微笑は、受け入れたい感情と拒否したい感情の相反する意味をもっている。これはペーターによれば「かぎりない愛情の約束と不幸を予告する威嚇」とを「モナーリザ」の微笑が表現しているのであり、レオナルドはその画家としての活動の最盛期にその矛盾した意図を表現するのに成功したのである。

ルネサンス以来、天才の典型と見られていたレオナルドについて、フロイトは大胆にもその同性愛的体質を指摘したのであるが、必ずしも同性愛的性行動をあからさまに示したといっているわけではない。しかし、レオナルドが、「きわ立って美しい子供や少年のみを弟子にとった」とか、「彼の弟子をその美貌のゆえに選んだ」とも指摘しており、そのために師匠の死後に美術史に残るようなものは誰も出なかったと述べている。

実際、レオナルドは、サライという弟子のために、四九七年に高価な外套を買い与えている。しかし、このサライが一四九〇年に十歳で弟子入りしたときには、「ジャコモ来りてわれとともに住む。泥棒、嘘つき、頑固、大喰らい」と書いている。フロイトの論文ではサライとジャコモは「別の弟子(あるいはモデル)」とあるが、実は同一人物である。ジャコモは、正確には「ジャンージャコモーカプロットーデイ・オレナ」で、サライ(小悪魔の意味)というあだ名をつけられていた。サライというのは、ルイジープルチの叙事詩「巨人モルガンテ」の中の「サラディン」からとったものである。

レオナルドはこの弟子サライのために、ねだられるまま服を買い与えたが、常にこの美しい弟子を同行していた。現在、サライと思われる弟子を描いたレオナルドのスケッチが、ツインザーエ宮図書館に残されているが、目の美しい巻毛の青年である。しかし、画家としてのサライはレオナルドの作品のコピーぐらいしか残していない。レオナルドは遺言書で、召使サライのためにミラノの城壁外の一庭園の半分を与えている。

このようなレオナルドの同性愛的傾向は、彼が若いときの不行跡の告発状にもみられる。それはレオナルドが二十四歳のときの、一四七六年四月八日のことである。公衆道徳を取り締まる「夜と修道院の役人」が投書箱をあけると、ヤコポーサルタレッリという男娼のことで告発状が書かれており、常連の四人の客のひとりに、「レオナルドーデイーセルーピエローダーヴィンチ、アンドレアーヴェロッキオのもとに住む」とあげられていた。