ANIESの抱える問題

発展途上国のなかでいくつかの国・地域は、一九六〇年代以降、急速な工業化を遂げ、GNPに占める工業シェアを一五−四〇%とほぼ先進国に近い比率にまで引上げ、一人当たり平均所得も三〇〇〇−一万ドルの水準に到達した。アジアの四頭の竜といわれる香港、台湾地域、韓国、シンガポール、それに中南米のアルゼンチン、メキシコ、ブラジルなどがそれである。しかし、後者の成長がすぐ後にのべる債務問題により八〇年代にはほとんど停滞したのにたいし、前者はこの時期にも年率六−一〇%の高い成長を続けた。

アジアNIESの躍進にはいくつかの理山がある。国際的な要因としては、これらの諸国が車内冷戦体制のアジアにおける西側の最前線に位置し、日本と同じようにアメリカから資本・技術などの惜しみない援助を当初受けた経緯がある。七〇年代以降は、日米多国籍企業の競争によりさらに資本・技術・市場確保などの便宜を受けた。また、八〇年代にはアメリカ経済が大きく輸入経済化し、日本と共にANIESがアメリカにたいする製品供給地となった。こうして、一九七〇年には世界輸入に占めるANIESの比重は二・一%にすぎなかったが、八〇年には四%、八八年には八%と高まって、二〇〇〇年時にはいまの日本と同じく世界の一割貿易国・地域に成長するとみられる。ANIESの輸出依存度(輸出額の対GNP比率)は八五年時に五六%に及び、輸出主導型の成長を達成してきたことを物語っている。

国内的な要因としては、やはり、東西冷戦体制のなかで、とりわけ台湾、韓国ではそれぞれ大陸、北朝鮮にたいする対抗意識が強く、国民総動員体制がとられ、国家主導的な発展路線がとられたことがあろう。香港、シンガポールの場合には、周辺諸国との仲介貿易で有利な地位を占めていたこと、またシンガポールについては近隣大国のはずまで生存意識がつよく働いたこともあろう。従ってこれらの国・地域では財閥が育成される(成長する)区面、土地改革など、国民を経済過程に参加させる措置も講じられ、国内市場を深めて成長基礎とすることができた。

いずれにしてもANIESの成長軌跡をみると、戦後日本の経済興隆過程と驚くほど似通っている。また、日本からの資本財・中間財の供与なくしてこれらの国の輸出増大もありえなかった。これらの国・地域が小日本とよばれるゆえんである。今日ではASEANのいくつかの国がANIESの後を追い、NIESとあわせて有力アジア経済群ともよばれ、OECD諸国はDAESを相手として、市場・輸出秩序に関する協議を八九年から始めている。

しかし、ANIESも今日、いくっかの大きな問題をかかえている。第一は八〇年代をつうじて、アメリカが財政・貿易赤字を続けることが不可能となり、世界的に保護主義、地域主義の傾向が強まったことである。欧米からの通貨切上げ、市場開放圧力も大きい。第二はこれらの国で賃金が上昇した結果、多国籍企業が東南アジアや中国に生産拠点を移しはじめたことである。また、ANIESの財閥も海外投資をはじめている。第三は香港をのぞき、多かれ少なかれ権威主義的体制をとってきたこれらの国・地域で工業化とともに中産階級が成長し、政治の民主化、国内市場の一層の深化が課題となっていることである。